2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

中編小説『持たざる者』⑧(了)

おそらく風俗店の男から、何度も携帯に着信があった。着信拒否設定にすると、今度は番号非通知での着信に切り替わったが、それも無視した。携帯をサイレントモードにし、放っておいた。 免許証に載っている住所は、今はコインパーキングになっているはずだ。…

中編小説『持たざる者』⑦

店を出て、ホテル街の方角へと歩き出す。星野は何も言わずについてきた。半歩分遅れているためにその顔が見えないのは、船木にとって幸いだった。見たくないわけではなかった。ただ、目が合ったときに口にする言葉が見当たらなかった。 スクランブル交差点を…

中編小説『持たざる者』⑥

短期の仕事は、それからも継続した。派遣会社に電話をしたり、毎日メールで届く求人情報を見て応募したりして、一日か数日ごとに現場を変えながら労働に身を投じた。 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、九月も半ばになる頃には、次第にその手間が煩わしくなってき…

中編小説『持たざる者』⑤

電車を降りたのは、自宅の最寄り駅ではなかった。 私鉄と連絡するその駅の構内も、駅を出た通りも、人工の光で溢れ、人でごった返していた。帰路につく者、まだまだ飲み足りない者、飲みたくないのに帰れない者、あてもなくさまよう者、何かが起きるのを何も…

中編小説『持たざる者』④

ファッション、メイク、雑貨など計八種類の女性向け雑誌を集めてビニールでひとまとめにしてレーンに流す。レーンの先には、宛先の印刷されたラベルを貼る係がいる。そのさらに先には、台車を使って雑誌をトラックまで運ぶ者がいる。 なぜ雑誌をまとめる必要…

中編小説『持たざる者』③

フルタイムの仕事を辞めたあと、無職の期間を経て就くのは、決まって短期の仕事だった。毎日同じ時間、同じ人間と、同じ場所で、同じ仕事をすることが嫌になって辞めたのに、また同じようなところに戻ろうとは思えなかった。 一日きり、三日きり、一週間きり…

中編小説『持たざる者』②

無職になると、自分が従事していた仕事の形がはっきりとした輪郭をもって浮かびあがってくる。朝四時半に起きる必要はなく、前日の深酒を控える必要はなく、濡れたタオルで満杯になった袋を担ぐ必要もない。誰かと喋ったりタイムカードを押すこともない。 大…

中編小説『持たざる者』①

何百回と通ったその道の景色を、船木は初めて、意思を持って眺めた。今日で仕事を辞めることが作用しているのは明らかだった。感傷的だと自分を批判しかけるが、そういった反抗はやめて身を任せようと言いきかせる。 ハイエースは、一方通行の三車線道路の真…