2020-01-01から1年間の記事一覧

中編小説『僕と』

月曜日 園庭の端の何も植わっていない花壇の前に、私は立っていた。乾いた土が、膝の高さのレンガブロックに囲われている。 私は、花壇を蹴った。びくともせず、つま先で受けた衝撃が、足指に心地よかった。靴の先を見つめ、中で指を丸めたり開いたりした。 …

短編小説『いつかの子』

その夫婦には、子どもがいなかった。妻は、子どもがほしかった。夫も、子どもがいてもいいと思っていた。 夫が妻と違うのは、一直線の欲求ではなく、いつの間にか身につけた標準的感覚から、子どもがいたらそれは楽しいだろうという前提をたてた上で、子ども…

詩『私がもらったのだから誰にも渡さない』

ときどき顔を合わせ しかしそのたびに与えられる 毎日顔を合わせ 毎日与えられる 会えなくなり 与えられたものを取り出してみる 私はそれを使い 生きる

詩『信じるもの救わざるべき』

今日くらい生き延びると思ってはいまいか 当たり前のように明日の予定をたててはいまいか 来年や三年後の自分を思い描いてはいまいか 苦しむのはいつだって未来だ 過去の苦しみは これからの停滞や凋落を予想した嘆きにある 本当は 「行く手を阻むもの」など…

短編小説『少年が欲しかったもの』

その少年は、学校から帰ってくると、ランドセルを机の横に置き、一度も腰を下ろすことなく鍵を閉めて自宅アパートを出て、学校とは反対の方角に走った。 公園の横を通り過ぎたとき、同じくらいの年齢の、見知らぬ子どもたちがサッカーをしているのが見えた。…

詩『チャンス』

何か自分が一生懸命に取り組んだことが 誰にも評価されなかったとき それはチャンスだ 今のところ その良さに気付いているのはお前だけ 未だ不完全かもしれない 完璧にしようと思うのなら 指摘されたのとのは逆の方向へ 研ぎ澄ませ 但し 一生懸命に取り組ん…

短編小説『鯵とオオカミ』

アリス・バーは街の外れ、五階建ての雑居ビルの地下にあった。 マスターが一人、それにカウンター席があるだけの小さなバーだった。決まってよく分からないジャズがかかっていた。薄暗く、壁の色も灰色なのかクリーム色なのかよく分からなかった。もしかする…

短編小説『週末の孤独は万全の準備で待て』

ベッドの上、窓からの陽射しはヘソの辺りに到達していた。俺はシャツをめくって裸の腹で温かさを感じ、気持ちいいなと思った。 午前十一時で、久しぶりの休日だった。久しぶりって言っても一週間ぶりなんだけど、新しい仕事を始めた最初の一週間ってのはすご…

詩『百円玉で笑顔を買う』

手を取ると握り返してくる 微笑むと微笑み返してくる ゼリーをスプーンで口へ運ぶと 雛鳥のように口を開けて いくらでも食べる 私の大切な人 百貨店の屋上にあった バスや電車、飛行機の乗り物 運転席で満足げな笑みを浮かべる小さな私 パンダやライオンの乗…

詩『忘れるまでは覚えておく』

もう忘れたものとして私は仕事に行かなければならない手料理など食べたことのない顔をして代わり映えしない食べ物で腹を満たさなければならない絵を描けなくなった画家のように休みの日には新しい美しさを求め歩く 苦し紛れに指先で触れた美しさに似たところ…