詩『才能くん』

才能があるのか問うてくるのは いつも俺自身だった 現実世界の奴らは 才能があるとかないとか わざわざ俺に言ってこない で、俺に才能はあるのかないのか あると言えばあるし ないと言えばない いや、あんまりないかな…… 何しろ、十八年も結果が出ていない …

中編小説『持たざる者』⑧(了)

おそらく風俗店の男から、何度も携帯に着信があった。着信拒否設定にすると、今度は番号非通知での着信に切り替わったが、それも無視した。携帯をサイレントモードにし、放っておいた。 免許証に載っている住所は、今はコインパーキングになっているはずだ。…

中編小説『持たざる者』⑦

店を出て、ホテル街の方角へと歩き出す。星野は何も言わずについてきた。半歩分遅れているためにその顔が見えないのは、船木にとって幸いだった。見たくないわけではなかった。ただ、目が合ったときに口にする言葉が見当たらなかった。 スクランブル交差点を…

中編小説『持たざる者』⑥

短期の仕事は、それからも継続した。派遣会社に電話をしたり、毎日メールで届く求人情報を見て応募したりして、一日か数日ごとに現場を変えながら労働に身を投じた。 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、九月も半ばになる頃には、次第にその手間が煩わしくなってき…

中編小説『持たざる者』⑤

電車を降りたのは、自宅の最寄り駅ではなかった。 私鉄と連絡するその駅の構内も、駅を出た通りも、人工の光で溢れ、人でごった返していた。帰路につく者、まだまだ飲み足りない者、飲みたくないのに帰れない者、あてもなくさまよう者、何かが起きるのを何も…

中編小説『持たざる者』④

ファッション、メイク、雑貨など計八種類の女性向け雑誌を集めてビニールでひとまとめにしてレーンに流す。レーンの先には、宛先の印刷されたラベルを貼る係がいる。そのさらに先には、台車を使って雑誌をトラックまで運ぶ者がいる。 なぜ雑誌をまとめる必要…

中編小説『持たざる者』③

フルタイムの仕事を辞めたあと、無職の期間を経て就くのは、決まって短期の仕事だった。毎日同じ時間、同じ人間と、同じ場所で、同じ仕事をすることが嫌になって辞めたのに、また同じようなところに戻ろうとは思えなかった。 一日きり、三日きり、一週間きり…

中編小説『持たざる者』②

無職になると、自分が従事していた仕事の形がはっきりとした輪郭をもって浮かびあがってくる。朝四時半に起きる必要はなく、前日の深酒を控える必要はなく、濡れたタオルで満杯になった袋を担ぐ必要もない。誰かと喋ったりタイムカードを押すこともない。 大…

中編小説『持たざる者』①

何百回と通ったその道の景色を、船木は初めて、意思を持って眺めた。今日で仕事を辞めることが作用しているのは明らかだった。感傷的だと自分を批判しかけるが、そういった反抗はやめて身を任せようと言いきかせる。 ハイエースは、一方通行の三車線道路の真…

短編小説『港の二人』

悲しいことがあった日、男は港に足を運ぶ。必ず、歩いて行った。悲しみを正しく認識し、反省すべき点を反省し、明日に活かす術について考えるためには、徒歩の運動量と耳目の刺激がちょうどよかった。 突堤の先からは、対岸の商業施設の明かりがキラキラして…

詩『ウイルスなんてへっちゃらさ』

風邪をひき 俺は何日もベッドの中 メシが食えず 風呂にも入れず 自分が汚れに包まれていくのが分かる 身体が軽くなる一方で 外側の層が厚くなっていく やがて目と耳と口と鼻が塞がり 泥団子になってしまうところを想像する ひどい頭痛と寒気が引き 少しだけ…

詩『午後四時のバーにて』

開けっぱなしのドアをすり抜けて カウンター席につき 目の前に置かれたビールを見つめる 白い泡と 透き通る黄金 グラスを伝う水滴 隣の男はタバコを吸っている 反対側では若い女が泣いている そのあいだに俺がいて 今グラスを手に持ち傾ける テレビモニター…

詩『王様がお呼びになっている』

世間に認められなかった時 見る目がないと憎むのか 力不足と反省するのか そこにたいした違いはない 仮にちやほやされたとして では見る目があったのか 力が満ちたのか そんな都合の良い話はない いつだってこの世の成功はたまたま 目指し努力し近づくことは…

詩『パンチドランカー』

名文と呼ばれる文章を読んで形だけ真似する奴は 死ぬその直前になっても 骨粗鬆症のような文章しか書けない シャツやパンツ 靴下を透かして 空気を感じ 地面を踏みしめる 息遣いに耳を澄ませる リラックスして ベルトを引き裂く素早さで腰を回転させ 袖口の…

詩『ファミリーカー』

襟付きのシャツを着た男が 女と子どもが遊ぶ庭に出てきた 眠いはずなのに 遅れを取り戻すように 妻子がただそこにいるということに 驚いて見せる 喜んで見せる いい天気ね お日さま! そうだな、どこか出かけようか いつからお前はそんなに察しが良くなった…

中編小説『深海散歩』④(了)

夕食の準備をしていると、スマホが鳴った。道弘かと思ったが、電話の主は唯だった。 今ちょっと大丈夫?と普段にない確認をするので、私はコンロの火を消してスマホを握り直した。 「結婚することにした」 え、と声を出した私が一瞬の混乱を経ておめでとうと…

中編小説『深海散歩』③

四回目のカウンセリングの日、受付で代金を受け取り二階に案内するというときになって、康平君がそばに来て「てて」と言った。 差し出された小さな手とその期待を込めた表情に、私は康平君の発した言葉の意味を理解した。咄嗟に美樹さんに視線を移すと、心配…

中編小説『深海散歩』②

須田康平君と母親の美樹さんの本格的なカウンセリングは、翌週の木曜日から始まった。 十時五十分、紺色の麻のワンピース姿で現れた美樹さんは、額にうっすらと汗を滲ませていた。私は、駅からここに来るまでの上り坂と、八月を二週後に控えて日に日に強くな…

中編小説『深海散歩』①

部屋の壁掛け時計の針を確認するとき、駅まで歩きながらスマホでいつもより早い電車の発車時刻を調べるとき、何時何分頃に職場に着くと頭で計算するとき、私はその時間にかかわる情報が間違っていればいい、と心の一点で願っているような気がする。 時間でな…

詩『持たざる者』

人類はいずれ絶滅するということが ある者の心を脅かすことはない ある者に脅しをかけるのは 金の不足や死や病気や孤独 しかしその個人の不安は まるで人類の危機のように語られる 一人の不幸を 人類の不幸と考える 不安が不安を呼び 世界経済の心配をしたり…

(3)『交差点』

やけにきれいに舗装された道路を走り ワンボックスカーは高速に乗った 車内には作業着姿の六人の男 疲労と すでに明日の疲労を見据えた苛立ちで満ちていた それではやりきれないと 誤魔化すように あちこちでライターを擦る音がきこえる 家に帰ればタバコが…

(2)『自室』

夜遅くアパートに戻り ベッドに倒れ込む 誰か着替えさせてくれまいか 世界一着心地のいいパジャマに それだけで俺は世の中を憎むことをやめられるだろう 目が覚めたとき 俺はTシャツにジーンズ姿 いつからかベッドの汚れは気にならなくなった シャワーを浴…

(1)『街』

お前が働く街で 俺たちは偶然再会した 唖然とする俺を見て お前はただ笑っていた それを見て俺も ぎこちなくではあったが 笑うことができた よく知らぬ都市の繁華街 お前と肩を並べながら 少し洒落ており かつ支払いに困らない店を探した ちょうどいい店を見…

詩『逆流』

うまくいかないことが続くと 人は世の中を憎み始める 何もかもが自分とは逆に流れている その流れに乗る術がないから せめて逆行することで 自分の存在価値を証明しようとする あいつらの瞳に お前が映っていると思うか? 抗い傷だらけのお前に合わせて 一緒…

詩『ドクター・ストップがかかるまで』

かつて俺は もっと自信満々だった 万能ではないが 少なくとも 自分が決めたことは 必ず実現できると 自分が特別だと妄信しているわけではなかった ほとんどの人間は やろうともせず やっても簡単に諦めてしまう だから俺は やり 諦めない側の人間であろうと…

詩『孤独のメニュー』

砂漠の真ん中の孤独 夜中の甲板での孤独 群衆の中で感じる孤独 ベッドで力尽きたときの孤独 あたたかい家族を見たときの孤独 同じ空間にいながら言葉も視線も交わさない孤独 あげくの果ての うまく焼けたステーキを食うときの孤独

詩『胸』

高速を走る車から手を出して あるいは二の腕の後ろを触って 女の胸の感触だとふざけていた 触ったことがないから ふざけることができた 想像し 頭を膨らませた しかし一度実物を触ってからというもの そんなことはしなくなった ガキっぽいと 過去の自分たち…

詩『OK、問題ない』

大丈夫、と鏡の自分に言いきかせる 何度も何度も 大丈夫なんだろうと思い込んだ俺は すっきりした気持ちで机に向かう そして一章を書き終えたあたりで ふと いったい何が大丈夫なんだろうと考える 金を手に入れれば 鏡の中の俺は満足するのか? それとも女を…

詩『診断が下されて得られる安心もある』

夢を見て目を覚ます その夢が何かを示唆している気がする 俺はこう考えているんじゃないか こんな傷を負っているんじゃないか 深層心理にこんな欲求があるんじゃないか 見栄と少しばかりの理性で抑え込んでいるんじゃないか その解明は精神科医や臨床心理士…

短編小説『サイレン』

サイレンが近くで止まり、救急隊員を呼ぶ怒声が通りに響いた。俺はベッドから身体を起こし、煙草に火をつけてベランダに出た。 救急車は、向かいのラブホテルの前に停まっていた。隊員の一人が先にホテルに入り、残りの隊員がリアドアからストレッチャーや大…