中編小説『深海散歩』①

 部屋の壁掛け時計の針を確認するとき、駅まで歩きながらスマホでいつもより早い電車の発車時刻を調べるとき、何時何分頃に職場に着くと頭で計算するとき、私はその時間にかかわる情報が間違っていればいい、と心の一点で願っているような気がする。

 時間でなくてもいいのかもしれない。信じて疑わないものに囲まれて生活する私が、未知のものに次々と出くわしていた頃を恋しく思っても不思議ではない。しかし驚いてばかりであったはずなのに、あまりにも連続していたからなのか、当時が刺激的であったという印象は薄い。

 むしろ大人たちの方が私に刺激され、反応を示していたように思う。倫子ちゃんは偉いねえ、とクラスメイトのお母さんに褒められた。大きくなったねえ、きれいになったねえ、と親戚から頭を撫でられ小遣いをもらった。両親には褒められも叱られもしたが、私の変化への反応という意味では同じことで、今となっては嬉しかった悲しかったという過去形の記憶でしかない。

 私の職場であるカウンセリングセンターは、キャンパスから五十メートルほど離れたところに建っている。左右には瀟洒な屋敷が並び、背後からは茂り立つ木々の緑が溢れ、目の前を横切る見通しのよい市道はほとんど車が通らない。朝の七時ということで、道中ですれ違うのは急ぐ様子のない老人と、犬を連れた主婦らしき女性くらいだ。駅からのなだらかな上り坂で弾む呼吸は、きっとクライアントの緊張を適度にほぐしているのだろう、と考える。

 低い門柱を抜け、石畳を進み建物の左側へと回ると、玄関に続く細い通路が現れる。二階までの壁と高い塀によって左右の景色が遮られるが、空間が狭まる感じはしない。意思さえあればいつでも脱出できる状態で、硬質の筒の中に隠れているような気持ちになる。足元には黒い丸石が敷き詰められており、そのあいだの白い飛び石を踏み進むとき、切り取られた空から間接的に陽射しを注ぎ込む七月の太陽が、首を伸ばして私を覗き見た気がした。

 玄関ドアを閉めると屋外の音はほぼ遮断される。しかし静けさは張り詰めず、無人であった時間も空気は沈むことなく夢うつつで漂っていたと思わせる。宙に浮かぶ粒子が、私の身体と擦れて目を覚ましていく気配があった。

 廊下を歩き、事務室に入ってエアコンを稼働させる。鞄を置き、パソコンの電源を入れる。昨日の夕方、計算式を組み込んだ表をいじっているうちにわけが分からなくなり、作業を途中で放り出してしまったのだ。

 マウスのホイールを転がして表を見返していると、カリカリという音で気分が塞がりかけた。しかしその閉塞の寸前、弾けるように、以前に似たような資料の作成を任され、自宅に持ち帰って徹夜で完成させたことを思い出した。共有ファイルの中を漁り、三年前の日付で保存されたデータを見つけたとき、時間の経過が今の一瞬で起こったような感覚に陥って背筋が縮んだ。

 データを開き、手直しを加えて入力し始めると、作業はすぐに軌道に乗った。頭も目も指も、等加速度的に機敏になっていくようだった。一時間以上を覚悟していた表作成が、三十分で終わった。

 早朝は頭が冴える、というのは母の教えだ。しかし頭の冴えない朝というものも存在する。ダイニングテーブルで朝刊を読みながら紅茶を飲む母の前で、参考書を開き眠い目を擦る中学生の自分を思い浮かべた。定期テストが迫り、五時に起こされるのは分かっていたのだから、前日の私はもっと早くに眠るべきだった。もしくは、早起きをきっぱりと断って夜中に勉強すべきだった。

 時計を見て、鞄から心理学の本を取り出し、しおりを挟んでいたページを開く。

——幼少期に心の深い傷を負った人は、親になると自分の子育ての中で同じ課題に向き合う。

 その一文を目で追ってから、私は、自分が深く傷ついた経験を過去から探し出そうとした。しかしこの本を手にしてから何度目かになる今回の追求でも、見つけることができない。本の中では親からの虐待やネグレクト、両親の離婚、再婚後の義父母との不仲などが具体例として挙げられているが、どれも私には当てはまらなかった。

 深い傷って、一体どれくらいのことを指すのだろう。両親からきつく叱られたりクラスメイトから仲間外れにされたことはあるけど、落ち込んだのちに自分の非や欠点を認め、受け入れられようとし、果たしてその通りかそれに近い関係を取り戻せた。特に両親とのあいだでは、論理的で鋭い指摘によって、私の落ち度の輪郭がくっきりと浮かび上がった。こちらに尤もらしい考えがあるときも、あちらの言い分の方が決まって少しだけ正しいように思われた。私は結局、自分が悪かったのだと反省した。

 人格や人生を左右したり決定づけた経験など私にはないのかもしれない、と考えてみるが、そんなわけはなかった。些細なことであるにせよ、今の自分もその積み重ねによって成り立っているのだと頭の中で言葉にしてみると、一つ一つの層の薄っぺらさを寂しく思う一方で、河原で拾ったきれいな小石を箱から取り出すときのような誇らしさを見つけられる。

 中でも受験をして入った高校や大学というものは、進み生きていくべき社会を限定し、人生を分かりやすいものにしてくれた。ある程度の枠の中に収められたからこそ、そこから太く伸びる道の一つを選べば間違いないということが保証された。選べなければ、身を任せることさえあった。努力を重ねた同級生には及ばないにしても、それなりの環境に滑り込むことができた。さらに私は、その環境を、力を振り絞って掴み取ったかのように思い込み、振る舞うこともできた。

 進学先によって就職先が変わり年収や生涯賃金が変わるという事実よりも、たとえば電車に一本乗り遅れることで十年後のある日に着る服が変わるかもしれないという可能性の方が、知らぬうちに知らぬことの変更を強いられるという意味では残酷に感じられる。

 開いたままだった本を閉じるとき、そのページが永久に失われてしまう予感がした。狭まりつつある空間は、左右からの紙の束の圧迫を受け、空気が漏れる微かな音とともに消えた。

 壁に並ぶ本棚まで歩いて、もとあったスペースに挿し込む。両隣の書籍との、摩擦の音がきこえた。いつか、もう一度あのページを開いてみようと考えたが、こういったシナリオめいた思いつきを、私は今まで数えきれないくらい反故にしてきたのだった。

 インスタントコーヒーをつくり、窓辺に立って飲んだ。強さを増した陽射しの中、日傘を差した野宮さんがレモン色のスカートをひらひらさせながら歩いてくる。こちらに気づかず窓の前を横切り、ドアの開閉の音を響かせ、事務室に入ってきた。

「あら、ずいぶん早かったみたいね」

 おはようございます、ちょっとやることあったので、と私は返事をして、野宮さんのカップに冷たい麦茶を注いで渡す。

「ありがとう。今日、私向こうなんだけどね。書類取りにきたの」

 野宮さんは私と同じカウンセリングセンターの事務職員だった。二週に一日だけ、大学の本校舎にある教務部へと出勤している。

「私が行ったって、なんにもないんだけどね。やってることは変わらないんだから。本当は報告だけしてこっちに戻ってきたいんだけど」

 野宮さんは、それが叶えば私も喜ぶはずだと信じ切っている様子で言った。

「ああ、でも寄ってよかった。麦茶おいしい。あっちじゃ誰もお茶つくらないのよ。私がつくるのも変でしょう。みんな、ペットボトルを買うの。一日一本だとしても、馬鹿にならないじゃない? エアコンが効きすぎで寒いしさあ」

 声を発する合間に頻繁にカップに口をつけ、野宮さんは麦茶を飲み干した。棚からファイルを取り出して、鞄を肩にかけたまま流しでカップを手早く洗うと、ごちそうさまと言って出ていった。

 私は今日の予定をメモに書き出し、時計を見て、仕事を再開した。

 

 十時半、三階の研究室にいる森内先生に内線をかける。森内先生は、大学で講義を受け持つかたわら、臨床心理士として学生や地域住民向けのカウンセリングをしている。いつもコール音とコール音の間に受話器を取り、よく湿った喉を想像させる、五十代の男性にしてはききとりやすい声を出す。

「はい、森内です」

「十一時から予約が入っていますので、ご準備をお願いします。須田美樹さんと須田康平くんの事前面談です」

「はい、ありがとうございます。ちゃんと覚えていました」

 先週の会議をすっぽかした森内先生は、受話器の向こうで笑ったようだった。

「桜井さん、ずんだ餅はお好きですか?」

ずんだ餅、ですか」

「枝豆を砕いて餡にして、お餅にからめた宮城県の郷土菓子です」

「へえ、おいしそうですね」

 見た目も味も想像できなかったけれど、そう言うしかなかった。

「優しい甘さで、くせもないので、よかったら食べてください。今から、そちらに持って行きますね」

 私は受話器を置き、ずんだ餅、とパソコンで検索する。近くでずんだ餅を取り扱っている店、ずんだ餅のレシピ、ずんだ餅の通販。なんでも分かる。画像見ると、思っていたより生々しい黄緑色の、砕いた枝豆の形が残った餡が飛び込んできて、好きではないかもしれない、と直感した。「優しい甘さ」というキャッチコピーが、同じ言葉を使った森内先生の顔を思い出させた。

 そうか優しい甘さなのね、と私は分かったような気分になる。もう食べなくてもいいのではないかという気さえする。しかしそうだとしても、間もなくずんだ餅はやってくる。私は、ずんだ餅を小皿に移し、竹串かフォークで口に運んで、おいしいですと言うことになる。それ以前に、森内先生の前で鮮やかな黄緑色にもう一度反応しなくてはならないことを思い、検索なんてしなければよかったと後悔する。ケンサク、という音の響きに嫌な感じを覚える。磨りガラスのはまったドアの向こうに、森内先生の影が見える。私は、ずんだ餅の情報で埋め尽くされたブラウザを閉じて立ち上がった。

 

 定時の六時に職場を出て電車に乗り、七時前にマンションに着いた。買い置きしていた食材を並べ、不足がないことを確認して夕食の支度を始める。

 煮込んだ鶏肉と野菜の灰汁をすくっていると、道弘が帰ってきた。ただいまあ、と声を伸ばして廊下で足音を響かせ、鞄を持ったままキッチンに立つ私のところまで来て、「ボーナス出た」と言った。

「そう。いくら?」

 と私がふざけて言うと、道弘は「たくさん」と腹話術人形みたいにカクカクと口を動かして笑った。

「よかったね。頑張ったもんね」

 道弘は顔を逸らし、キッチンを出て、ソファにどかっと腰を下ろした。そしてたった今大仕事を終えたみたいに、背もたれに後頭部を投げ出し、私に表情を見せない姿勢になって、うん、と喉を締めたような声を出した。

「もうすぐできるから。それか、先にシャワー浴びる?」

声をかけると、道弘の顎が揺れ、「あとで」と返事があった。

「そう、じゃああとでお湯張ろっか」

 お米が炊けたことを知らせるメロディが鳴った。それはいつもより、長くきこえた。先月に三十一歳の誕生日を迎えた道弘だが、ボーナスをもらうのは生まれて初めてのことだった。私は、道弘が声を殺して泣いているのかもしれないと思った。

 部屋が静かになり、コトコトという鍋の音だけが浮かび上がってくると、道弘は身体を起こしてこちらを見た。元気を取り戻したことを示すように勢いをつけて立ち上がり、ハンガーにジャケットをかけ、寝室でスウェットに着替えてくるとテーブルを片付け始めた。

 風呂を後回しにする日、道弘は私を抱く。私は、鍋でルウを溶かしながら、今日はシェーバーで身体の手入れをしなくては、と考える。

 

「毎月給料もらってて、今月も給料出るのに、それと別にボーナスもらえるってやっぱり不思議だよな」

 口に運んだシチューを飲み込んでから、道弘は言った。

「倫子は、これまで何回ボーナスもらった?」

「一応毎年二回ずつ出てるから、二かける七、それと今月のを足した回数かな」

「じゃあ、十五回ってことか。すごいなよなあ——でも、それが普通なんだよな。俺が変なんだ」

「変じゃないよ」

 芸大を卒業してから結婚直前までずっとフリーランスでカメラマンをしていた道弘は、ボーナスだけでなく、毎月の基本給、有給休暇、厚生年金、健康診断とも無縁だった。カメラマンの収入だけでは足りないことがあったようで、ときどき短期のアルバイトもしていた。不安定には違いないが、必要なぶんだけを稼ぎ、好きな季節にテントを担いで風景写真を撮りに行ったり、時間帯を問わずカメラを片手に街を歩き回ったりする暮らしは、充実しているように映った。

「ボーナスなくてもいいから独立したいっていう人、たくさんいると思うけどな。でもなんとなくこわくて、踏み出せないんだよ。道弘は、それで八年もやってきたんだから、偉いよ」

 道弘はそれには答えず、手製のミートボールをレタスに包み、口に入れた。二、三口噛んでから、追いかけるようにご飯をかき込む。そして、柴犬を無理やり笑わせたような表情を見せる。おいしいね、と私が言ってみると、道弘はその顔で頷いた。

 

 夕食後には、温かいお茶を淹れ、ずんだ餅を食べた。

「コンビニで見たことあったけど、初めて食べたよ。うまいんだな」

「コンビニに売ってるの? 知らなかった」

 私は驚いて言った。

「営業先回るとき、アポとった時間までコンビニで涼んでるからさ。買わないけど、なんとなく眺めてるんだ」

 私は、オフィス街を一人突き進む道弘を想像した。以前は一枚も持っていなかったハンカチで額の汗を拭き、反対側の手でジャケットと鞄を持っている。営業先のビルの前まで来ると、時計を見てまだ時間があるなと思う。コンビニに入って冷たい空気を吸い込む。スポーツドリンクを入れたタンブラーはすでに空なので、ペットボトルの飲み物を買う。袋いらないです、と店員に告げる。一度外に出て、飲み物を喉に流し込む。鞄にしまって店内に戻り、約束の時間まで、ぶらぶらと棚を見て回りながら、頻繁に時計を確認する。コンビニで立ち読みができなくなった、といつか道弘は嘆いていた。

 ずんだ餅は、思っていたより私の口に合った。森内先生の前で一つ食べたときも、素直においしいですと言うことができた。事務室の冷蔵庫に入れた残りのずんだ餅を、明日は野宮さんに食べさせなければ、と心に留める。

「その先生、実家は大丈夫だったのかな」

 どういうこと、と私はきく。

地震津波」と道弘が並べた二つの単語で、昨日から姉が遊びに来てるんです、と言った森内先生の顔を思い出した。その表情が柔和であったことにすんでのところで救われた気がしたが、宮城県のお土産としてずんだ餅を受け取っておきながら、そこにある森内先生の実家や家族親戚が震災で被害を受けたのかどうかを考えもしなかった事実に胸が痛んだ。

 たぶん大丈夫だったんじゃないかな、そういえばきいたことなかったな、震災のとき森内先生はまだうちの教授じゃなかったから、ていうか私も大学生だったし、と過去を遡りながら呟き、なおも自分を肯定する材料を探していた。

「まあ、もう十年も前のことだもんな」

 道弘は、私の背中に手を添えるように言った。そしてお茶を飲みながらテレビを眺め、コマーシャルに移るとバスタオルを取りに寝室へと向かった。

 

 

 

 その週の土曜日は、朝から予報通りの快晴だった。私は日焼け止めをたっぷり塗り、道弘にも使うように言った。

「このにおい、好きなんだよな」

 道弘は半袖から伸びる腕を擦りながら、私の首筋に鼻を押し付けた。

先週買ったばかりの夏山登山用のウェアに身を包んで、九時にマンションを出た。ゴツゴツとして重いトレッキングシューズは振り子の作用で意外と歩きやすく、縁の広いサファリハットは首元までを影で覆ってくれた。道弘は何度も帽子をかぶり直し、山登りにキャップってやっぱり変かな、と私にきいてきた。私たちは、似合っていると互いに励まし合いながら駅に向かった。ホームで電車を待っているあいだ、リュックから日焼け止めを取り出して、道弘のうなじに塗ってあげた。

 乗り換えの駅で、紗枝と夫の隆二さんと合流した。社会人の登山サークルで出会った二人は、結婚して二年が過ぎた今も毎月登山を楽しんでいる。ハーフパンツとその下に履くレギンスを、色違いで揃えていた。目的の駅で降り、改札を出ると何組かの登山客が目についた。慣れない服装がようやく身体に馴染んだ気がした。

 登山口の手前の広場に着くと、四人で輪になって準備運動をした。長身の隆二さんは、そこがちょうどいいというように腰に手を当てて、私と道弘を見た。

「頂上まで、二時間半ほどです。登山道と道路がありますが、どうしましょうか?」

「登山道って、崖とかあるんですか? ロープ使って登るような」

 まさかそんなことはないですよね、と言いたげな顔で道弘が訊ねる。

「いやあ、そんなのはありません。ちょっと大きい階段を上がっていく感じですかね。それもずっと続くわけじゃなくて、平らな道もあります。ところどころに休憩用のベンチも置かれてますよ」

「じゃあ、せっかくだし登山道で行きましょう。な?」

 私は頷いた。

「倫子は心配ないよね。屋久島に行ったときも歩けたんだから」

 紗枝が言い、じゃあ、行こう、と小さな拳を上げる。

 十分も進むと、林に入り道幅が狭くなった。針葉樹に日光を遮られた登山道は涼しく、背の低い植物も土も水気を帯びていた。そして斜面とほとんど同化した丸太の階段を、隆二さんと道弘が先に立って上った。お仕事どうですか、お忙しいですか、と二人は取引相手との社交辞令みたいな言葉を交わしていたが、声色にはこれから会話が弾んでいくのだという意志と期待が滲んでいた。かつての道弘だったら、ああいったサラリーマン的なやりとりはできなかったかもしれないなと思い、私はそこに新鮮な愛おしさを感じた。

「倫子はどう、仕事」

 紗枝が、前の二人に影響されたことを分かっている顔で言う。

「変わらないよ。森内先生は相変わらず姿勢がよくて、野宮さんは全然麦茶つくってくれない」

 クスクスと紗枝は笑い、懐かしいなあ、と二人のことを思い出しているようだった。

母校の大学に採用された私が三年目にカウンセリングセンターに配属されたとき、大学院を出て臨床心理士の資格を取ったばかりの紗枝がやってきた。紗枝は三つの職場を掛け持ちしていたので、顔を合わせるのは週に二日だけだった。同い年だった私たちは時間をかけて仲を深め、ときどき休みの日に二人で出かけるようになり、年に一度は旅行をした。

「麦茶があとひと口になると、全然飲まないんだっけ」

「そうそう。でもなんだか最近は、あれは無意識なんじゃないかって思う。だって普通さ、たまには飲み切って、つくって見せて、ごまかすもんじゃない?」

 確かに、と紗枝が相槌を打つ。

「悪気がないって思ったら、もういいやって。私がお茶係なんだって。それで最近、わざと煮出すタイプの麦茶買ってきて、仕事中に沸かすようにしてさ。やかんの前に椅子持っていって、コンロの火を消すまで、十分くらい休憩するの。『火をつけたら離れない』って張り紙、野宮さんが昔貼ったの知ってるから」

 紗枝はまた笑った。

「おととい」私は次の話題を見つけて声を出し、今日の自分がよく喋ることを意識した。「新規で、親子の事前面談だったの」

「森内先生の担当?」

「そう。三十代のお母さんと、三歳の男の子」

 私は、お尻が落ちないか心配になるほど浅くソファに座る須田康平君の姿を思い出した。隣に座る母親は、色の白い、美しい人だった。

「並行面接?」

「うん、そうなりそう。森内先生と院生が担当するって。その男の子ね、靴脱ぐのも歩くのも、ふわふわ、ふわふわしてるの。それがなんというか、すごくかわいいんだけど」

「かわいいよね、子どもは」

「私がプレイセラピーしたいくらい」

「そういえば倫子って、大学の頃、プレイセラピーしてたって言ってなかったっけ?」

 心理学部の学生だった頃、ボランティアとして小学一年生の女の子のプレイセラピーを担当した。児童養護施設で週に一回、棚からおもちゃが溢れるプレイルームで、絵本を読んだり絵を描いたり、おままごとをして遊んだ。

「あの頃は、大学院に行って臨床心理士になろうと思ってたからなあ」

 自分の口調が自虐的に響いたと感じたが、相手が紗枝だと思い、気にしないようにした。

 クライアントが自傷したり自死することがあるという現実を講義で知って、私は大学三回生のときに臨床心理士になることを諦めた。今になって思うのは、そのくらい大学に入る前に知っておけよ、ということだ。なんとなくカウンセラーという仕事が自分に合っているつもりになって心理学部をいくつも受験したというのは、十八歳という若さを差し引いても思慮が足りず、しかしそれが私らしいとも思う。

 林の中を流れる小川に、短い橋が架かっていた。先に渡った隆二さんが一眼レフカメラをリュックから取り出して、私と紗枝にポーズをとるように言った。私たちは他の登山客が途切れたところを見計らって、ピースをしたり欄干にもたれかかったりして写真を撮ってもらった。

 何度かシャッターを切ったあと、隆二さんは手を止めて、「道弘くんに撮ってもらった方がいいですよね」と言った。

「もう全然駄目なんですよ」

 道弘は、差し出されたカメラをやんわりと手のひらで遮った。隆二さんはそれ以上勧めることはなく、また何枚か私たちの写真を撮り、カメラをしまった。

 階段が途切れ、道幅の広い緩やかな山道が続いた。木洩れ日が増え、踏み固められて乾いた土の上を軽やかに進んだ。四人とも視線が上を向き、鳥がいたとか雲が一つもないとか緑のいいにおいがするとか、目にしたものや感じたことを意味もなく口にした。道弘がクヌギの木にへばりついたクワガタを見つけて捕まえ、ヒラタだミヤマだとてんで詳しくないくせに検証し始めた。手元を覗いた隆二さんに「オオクワガタですね、これ」と教わって高く売れるといっそう騒いだが、続けて絶滅危惧種なんですと言われるとあっさりと逃がしてやった。何ごともなかったかのように先頭を歩く道弘の後ろで、三人が顔を見合わせた。

「道弘さんって、面白いね」

 耳元で言った紗枝に、私は声を出さずに頷いた。

 

 昨日の昼休み、生協に配達してもらう弁当を食べたあと、冷蔵庫にとっておいたずんだ餅を小皿に移して野宮さんに差し出した。

 大好きなのと野宮さんは喜び、すぐに食べるか三時に食べるか悩み、早く食べた方がいいわよねと自分に言いきかせるように呟いた。野宮さんがフォークでずんだ餅を小さく切り分けようとするのだが、餡がこね回される様子が私は気になって仕方なかった。目に入れまいと視線を上げると、野宮さんもしっかりと私を見て喋り続け、それでまた手元の作業が疎かになってしまう。話が途切れたところで、お茶いりますよね、と言って立ち上がり、二人分のお茶を持って席に戻ってきた私は、森内先生の実家が震災でどうなったのか、家族は無事だったのかを、野宮さんが教えてくれないかと期待していることに気づいた。そのあと、自分でもひどいと思うくらいに、野宮さんの話を右から左へときき流したのだった。

 私たち四人は予定より早い時間に山頂の広場に到着し、レジャーシートを広げて持ち寄った弁当を食べた。隆二さんと道弘はシートの端にお尻だけ乗せて、おにぎりを片手に眼前に広がる街についてあれこれと議論している。紗枝と私も有名な商業ビルや県立公園を探しあてるまでは参加していたが、電鉄間の連絡や駅の構造、道路網、高速道路の出口の場所がよい悪いという話になるとついていけずに脱落した。弁当のおかずを交換してレシピを教え合ってから、そういえばさ、と私は切り出した。

「森内先生の実家って、震災のとき大丈夫だったのかな? 知ってる?」

「お父さんとお母さんと、それと妹さん、本震が収まってから貴重品だけ持ってすぐに山の方に避難したんだって。森内先生の実家は古い木造で、海岸から三十メートルくらいしか離れてなかったから流されちゃったけど。近くに住んでた親戚も仙台のお姉さんも、全員無事だったってきいたよ」

 紗枝は淡々とした調子で、私が知りたかったことを教えてくれた。やはり、紗枝にきいてよかったと思った。野宮さんならきっと、私が耳にしたくないことを、ニュースできいた悲惨な話や根拠のない噂話まで詰め込んで喋ってしまう。森内先生の知り合いの中には亡くなった人もいたはずだとか、海岸に遺体が打ち寄せられていたらしいとか、年老いた親が自分を置いていくように息子に言ったそうだとか、悲しいけれどどうしようもないことまで。そして多分私より先に、吐き出した言葉を忘れる。

「知って、倫子はどうするの?」

 緩みかけていた心が締め付けられ、私は紗枝を見返した。

「たとえばこれから森内先生と話すとき、震災の話の尻尾みたいなものが出てきたら、話題を変えると思う? それとも、そういえばご両親はどうされてますか、復興は進んでますかって踏み込んできく?」

「私は多分、できるだけ自然に話題を変えるかな。暗黙の了解というか、いいできごとではないからさ、先生から話してこない限り、あえて触れたりはしないと思う」

 紗枝の意図を理解しないまま、私は精一杯正直に答えた。それでも自分が何か繕いながら喋っている気がして、正解があるわけではないこと、自分の回答が無難な倫理観から逸脱していないことを、揺らぐ頭で繰り返し確認した。

「もちろんどっちが正しいとか、そんなのないと思うけど、私も倫子と同じ。過去の悲しい体験のことを、わざわざきいたりしない。その人は忘れたがっているかもしれないもんね。共有したいと思ったときには、自分から話すだろうし。——でもときどき、それじゃ現実から目を逸らしていることになるのかなって不安になることがあるの。あんなひどい震災って、人生で二度経験する可能性はすごく低いわけでしょ? それならまだ経験していない人こそ、知っておいた方が社会全体のためになる。国とか自治体の対策も大切だけど、普段の備えだとか、逃げる逃げないの判断は最終的に一人一人がするわけだから、機会があるなら、やっぱり被災した人や、森内先生みたいな被災者家族から話をきくべきなのかもしれない。あと、これは忘れがちだけど、話をきく側も責任は持つべきだと思うの。質問するだけでその人を傷つけるかもしれないとか、悲惨さを胸に刻むとか、現実的な教訓をちゃんと自分の人生に活かすだとか、そういった覚悟がないと、きいちゃ駄目だと思う」

 箸を止めて喋る紗枝から目を逸らせず、真っ当な意見を受け取りながら、自分が同じことを口にしたときには、もっと子どもじみた恥じらいがあるだろうと考えていた。

「私、自信ないかも」

「私もない。だからやっぱり、自分からはきけない。テレビとかネットとは本とかで分かった気になってる。これくらい分かってたらまあいいかっていうラインをまわりを見ながら引いて、それをちょっとだけ上回ったら、もう満足してるの。悲惨さをリアルに知るためにもっとできることがあるのに、きりがないってどこかで考えてて——あれ、ってことは私、諦めることで、安心しちゃってるってことか」

 紗枝は、思いがけない発見をした少女のように素直な驚きの表情を見せた。その様子を見てまず私が感じたのはかわいいなということだったが、喋りながら思考を深め必要に応じて修正する一連の流れに、久しぶりに触れた気がした。紗枝は、自分の考えの変更や過ちを認めることも躊躇わない。

 紗枝、とプラスチックボールを投げたような声が、私たちのあいだに届いた。隆二さんと道弘が、こちらに顔を向けていた。

「ほら、倫子さんの誕生日の話」

 あっと紗枝は声をあげ、「二十六日、誕生日」とメモを読むみたいに短く言った。私たちは毎年、互いの誕生日の前後に二人で食事に行く。出会った年から、途切れることなく続いている。

「倫子、何食べたい?」

「なんでもいいよ。紗枝と一緒なら」

「またそんなこと言う」

 紗枝は頬を膨らませて見せて、ふふっと吹き出した。

「当日でいっか。二十五日あいてる? 日曜日」

「うん、あいてる」

 私は、今年はおそらくこの日になるのだろうと予想して、誕生日の前日の予定をあけ、道弘にも伝えていた。その道弘が、靴を脱いでシートにあがり、

「いいなあ、俺も参加したいなあ」

 と怠け者のような声を出す。私のリュックから、お菓子の袋を取り出すつもりらしい。

「駄目。道弘さんは、別でちゃんとお祝いしてあげてください」

「冗談冗談。前に倫子にきいたときも、真面目な顔で断られたから」

 そう言った道弘の向こう側で、隆二さんが声を出さずに微笑んでいた。目を細め、白い歯を少しだけ覗かせる、その場の事物の位置関係や人の感情をすべて把握したような微笑み。無添加の材料を機械に入れてつくったような微笑み。

 私には、あのような笑い方はできない。道弘の二つ、私の三つ年上というだけなのに。いや、年齢の問題ではないのかもしれない。小学生の隆二さんが、クラスメイトの馬鹿話に同じ表情を見せているところが、ありありと想像できる。

 私はハッとした。紗枝も、同じような表情をすることがある。道弘は、できない。

 似た者同士が結婚したということなのだろうか。

 笑い方で? まさか、と胸のうちで呟き、道弘が差し出したエム&エムズのチョコレートを手のひらで受け取る。黄色の一粒を、指で摘まんで口に入れた。顔をしかめそうになるくらい、甘かった。

 

 山を下り始めてしばらくすると、隣を歩いていた影が立ち止まった。振り向くと、道弘が両手を腰に当て、足元に視線を落としていた。

「どうしたの?」

「やばいかも。股関節。いてえ」

 道弘は眉間に皺を寄せたが、紗枝と隆二さんが引き返してくるとやけに明るい表情をつくり、「いやあ、ちょっと、すいません」と声を出して足踏みをした。私はそれで、痛みが相当ひどいことを悟った。

 登山道の端に寄り、状況を確認した。歩けないわけではないが、大きな段差を下りるときに股関節に痛みが出るらしい。斜面の角度に沿って急な階段が続いたところだった。道弘は隆二さんに促され、ごつごつした岩の縁に腰を下ろして水筒のお茶を飲んでいる。

 財布に常備している絆創膏のことを思い出したが、役に立つわけがないと頭から放り出した。初夏の休日に、家族連れで登るような低い山で、こんなことが起こると思っていなかった。遅れをとって迷惑をかけるとすれば自分だと、それもだらしないなとみんなにからかわれるような、単なる体力不足による遅れだと思っていた。

「道路に出ましょう」

 私があれこれ考えているうちに、隆二さんが提案した。

「少し引き返したら、道路に出られる脇道がありますから」

「そうね、バスも通ってるし」

 紗枝が続いたあと、私たち夫婦が言葉を発する間もなく、隆二さんがリュックを下ろして屈み込み、背中を差し出した。道弘は一瞬戸惑いの表情を見せたが、私と目を合わせると、すみません、と従った。私は道弘からリュックを受け取り、紗枝を真似て身体の前で抱えた。

 六十キロはある道弘を背負って、隆二さんは力強く階段を上っていった。ふっふっとリズムよく息を吐きながら、子どもを喜ばせるようなスピードで進み、背中の道弘は実際に額に汗を浮かべながらも思春期前の少年のような照れ笑いを見せた。

 途中で横に折れて険しい脇道を進むと、隆二さんの言った通り舗装された道路に出た。道弘はアスファルトに降り立ち、ぎこちない歩き方で道路を横断し、戻ってきた。道が平坦であれば痛みは出ないようだった。

 道弘を気遣いながら、私たちは緩やかな傾斜の道路を下っていった。十分も歩けばバス停があり、そこでまた十分待てばバスが来ると、紗枝がリュックから取り出した紙を広げて言った。観光案内サイトの地図とバスの時刻表をプリントアウトしたものだった。スマホを見ると、電波の圏外だった。私は、山の上が圏外だとか圏外じゃないとか、何かが起きてバスに乗るかもしれないとか、考えもしなかった。

 バス停に差し掛かったとき、私と道弘だけバスに乗る、ということを一応提案してみた。紗枝と隆二さんは笑ってそれを却下した。「楽しかったから」と紗枝がきっぱりと言い、隆二さんがその後ろで頷いた。

 乗客のまばらなバスに乗り込み、並んで座ってから、道弘がごめんなと私に言った。

「私にまでそんなこと言わないでよ。仕方ないよ。それに、楽しかったんだから、私も」

 左右に大きくカーブするバスの中で、私たちは身体を揺られながら、言葉少なだった。前のシートに座る紗枝と隆二さんは、空の青と山の緑が激しく入れ替わる景色を眺め、ときどき顔を近づけて言葉を交わしている。何か、私が口にしたことも耳にしたこともないような、素敵な言葉がやりとりされている気がした。二人はまだまだ、いくつもの山を越えていけそうだ。きっと、登山でケガをしたことなどないのだ、とぼんやりした頭で私は決めつけた。それも、股関節を痛めるなんてケガは。

 バスを待っているときに押し寄せた疲労感は、今もなお増しているようだった。道弘は、窓枠に頭の側面を当て、すでに目を閉じている。

 こんもりした木々の緑を眺めていると、三年前の夏、紗枝と屋久島に行ったときのことを思い出した。私は靴擦れを起こして、紗枝に貸してもらったトレッキングシューズを血で汚してしまった。そのときの焦りと申し訳なさが、バンガローに泊まったことや、縄文杉を見た記憶に、糸くずのようにまとわりついて持ち上がってくる。靴なんて、それも登山用の靴なんて、人から借りるようなものではないのだ。

 足元を覗くと、先週買ったばかりのトレッキングシューズの真新しさが眩しかった。まるで、そこに靴がないことを願っていたみたいな気持ちになり、足からもぎ取って窓から投げ捨てることを考えるだけ考えて、背もたれに身体を預けた。(続く)