中編小説『持たざる者』④

 ファッション、メイク、雑貨など計八種類の女性向け雑誌を集めてビニールでひとまとめにしてレーンに流す。レーンの先には、宛先の印刷されたラベルを貼る係がいる。そのさらに先には、台車を使って雑誌をトラックまで運ぶ者がいる。

 なぜ雑誌をまとめる必要があるのか、どんな女がこんな雑誌の束を買い求めるのか、船木ら派遣労働者には関係なかった。ただここで一日言いなりになり金をもらう。好奇心は不要だ。

 たかが雑誌をまとめる仕事。しかし一冊ずつピックアップし、端を揃えてビニールで包むためには、作業台の上で何度もその束を持ち上げなければならない。延々と繰り返していると、腕がだるくなってくる。肩と肘の関節がきしみ、手が浮腫む。種類ごとに分けられた雑誌が、船木を囲んで山のように積み上げられていた。

 五十歳前後の男が一人、午前中に脱落した。班長の判断で、男はラベル貼りに回された。こういった現場で仕事がなくなることはない。船木たちは、時間を買われているのだ。違う現場でベルトコンベアが故障したときには、敷地内の草むしりをさせられた。

「お前、意外とやるんだな」

 休憩時間、喫煙所で班長が言った。半日働いて、初めて個人的に投げかけられた言葉だった。午後になってまた一人、脱落者が出て他の持ち場に回されていた。

「お前が最初に音をあげるって賭けてたのによ。一番人気は、ラベル貼りに回されたあのおっさんだ。あいつ、喜んでたぞ。——俺がお前に賭けたのはだな、まさにギャンブル精神ってやつだ。こんな仕事つまんねえ、くだらねえって顔してる奴がだんだん辛そうになっていくのが、一番面白いからな」

 班長は悪びれることなく言った。

「うちは今日で終いだろう。明日からどうするんだ?」

 明日は別の工場に行くみたいです、と船木は答える。

「みたいですって、人ごとみてえだな」

 班長は連なる銀歯を見せて笑った。そして船木をまじまじと見つめた。

「そんなふうだと、損しないか? いや、得なのか? まあいいや。またうちから求人出ると思うから、暇だったら来いよ。次はお前も賭けてみるか?」

 満足げな表情でカッカと喉を鳴らした班長は、タバコを地面に捨て、プレハブの事務所の方へと歩いて行った。

 

 夕方、派遣会社の社員がワンボックスカーで迎えに来た。

 同じ方面に自宅がある七人が乗り込む。車はすぐに発進し、砂埃の舞う敷地を出てアスファルトを走った。車内では、行きとは違う、じめっとした沈黙が満ちていた。エンジン音、誰かの咳払い、遠くのカラスの鳴き声がきこえた。窓は全開にしてある。エアコンのスイッチには、「故障」と書かれた紙が貼られていた。外に目を向けると、稲穂が夕日を浴びて輝いていた。

 昨晩、宇津井から会社で余っていたという薄型テレビが届いた。電話で礼を伝えると、そういや同窓会で星野が瑛人のことを気にしてたぞ、と宇津井は言った。電話を切ってから受信したメールには、星野咲の電話番号とメールアドレスが記載されていた。

 船木は気づいていた。隣に座る今日二人目の脱落者が、星野が住む街で降りるということに。今朝も、男はその街から乗り込んできたのだ。船木は雑誌を持ち上げながら、弁当を食いながら、タバコを吸いながら、ずっとそのことを考えていた。

 携帯を開き、メールの作成画面を呼び出す。宛名の欄に星野のアドレスを入力する。隣の男の影が動いた。船木が顔を上げると、男は慌てて視線を逸らし、目を閉じた。

 今から会えるかとメールを送ったら、星野はどう思うだろうか。最後に合ったのは、去年の夏のことだった。街で名前を呼ばれ、振り返ると星野と背の高い男がいた。何してるの、元気だった、といった質問に船木が答えると、星野はその内容はどうでもよさそうに微笑んだ。髪を伸ばし、少し痩せていたが、強気な瞳を相手に真っすぐに向けるところは変わっていなかった。二人は急いでいたらしく、長身の男がどこの誰であるのかを知ることもなく別れた。たぶん、あれが夫なのだろう。

 車が減速する。高速の出口に差し掛かっていた。間もなく、星野が住む街に着く。ハンドルを握る社員が名前を呼ぶ。船木の隣で狸寝入りをしていた男が、今目を覚ましたと言いたげな生返事をする。親に命令された中学生のように、緩慢な動作で足元から鞄を取り出す。

「俺も降ります」

 その宣言に、隣の男が喉を詰まらせたような声をあげ、横目で船木を見た。携帯を覗き込んだ仕返しに遭うと勘違いをしている男に、船木は出鼻を挫かれた苛立ちを覚える。

 

 星野とは中学で三年間、同じクラスだった。

 入学直後から属していた不良グループでの立ち位置は、常に端か後ろという感じであった。しかし星野がその位置に収まっていたのは、お情けでグループに加入を許されたための遠慮によるものではなさそうだった。リーダー格の女子が、一派としての体裁を保つために星野を入れないわけにはいかないと考えた結果であるように映った。

 星野は勉強にせよ運動にせよ、そつなくこなした。授業中に指されれば正しい回答をしたし、テニス部でも活躍しているらしかった。眉を細くしたり靴下を異常に短くしたりといった校則違反については他の不良と足並みを揃えていたが、教師に反抗したり同級生を威圧したりすることはなかった。かといって愛想がいいわけでもない。

 常に余力を残した顔で必死な姿を見せることはなく、輪の中にいてもどこか白けていた。教師でさえ、星野を名指しで叱ること、反対に褒めることにも躊躇いがある様子だった。

 初めて言葉を交わしたのは、同じ高校に進学し、またしても同じクラスになったときだった。席が隣になり、星野から声をかけてきた。

「また一緒になったね」

 当時の驚きを、船木は鮮明に覚えている。まさか声をかけられるとも、中学で同じクラスだったことに触れられるとも思っていなかった。

「知らない子ばっかりで、不安だったの」

「星野でも、不安になるのか」

「なるわよ。私のこと、なんだと思ってるの」

 急な不満げな言いように、船木は慌てた。

「そういうタイプじゃないと思ってたからさ」

「船木にそんなこと言われたくないよね。いつも、うれしいとか悲しいとか知らねえって顔してたじゃん。でも中三になって、宇津井と仲良くなったでしょ? 急にどうしたのかと思ったけど、あいつと話してるときの船木、すごく楽しそうだった」

「別にそんなことないと思うけど」

「私にはそう見えたの」

 星野はスカートの裾を手で払った。新しい生地の、折り紙のようにくっきりとしたひだが揺れた。

「いいなって思った。私も、高校ではちゃんと友達を作ろうと思った。ありがと」

 予想外の感謝に、船木はどういう反応をすればいいのか、なんと言えばいいのか、分からなかった。その日は午前中に家に帰ったが、自室で何度も星野の顔を思い浮かべ、気づいたときには昼食も摂らぬまま夕方になっていた。あの顔をまた近くで見られると、あくる日を待ちわびた。

 同じ中学から進学しながら、高校でできた最初の友人として、二人は毎日言葉を交わすようになった。たわいもない会話をするときでさえ、船木の胸は高鳴った。席が離れてからも、すれ違ったときには一言を交換した。星野の近くを通ったときに自然な会話をするため、話の内容を決めてから行きたくもないトイレに立つこともしばしばだった。

 星野は入学初日に言った通り、中学時代より積極的に友人を作ろうとした。ぎこちなくではあったが、クラスメイトに話しかけ、小さな輪を増やしていった。やがて特定のグループに落ち着き、その中心になった。そこで起きたおかしなできごとを、成果報告をするように、船木に伝えてくれた。

 そうして馴染んでいく星野を眺めていると、船木は少なからず自分が力になれた感慨に浸ることができた。また報告であれなんであれ、星野の話をきいている時間は至福だった。宇津井と高校が別々になり、代わりに学校生活に光を見せてくれたのは、間違いなく星野だった。

 しかし男女としての進展はなかった。星野には常に恋人がいた。それはときに同級生であり、先輩であり、他校の生徒であった。中学から高校にあがり、男女交際が隠すべきものではなくなったため、星野が誰と歩いていた、付き合っているという情報はなんの障害もなく広まった。船木も、人の都合を考えないその拡散から逃れることはできなかった。耳を塞ぎたい気持ちに襲われながら、無視するわけにはいかず、まるで辱めを受けた被害者のように苦しみつつも情報を飲み込んだ。そして星野本人の前では、恋人のことなど露ほども気にしていない態度で、できる限りそういった話題とは関係のない話をするのが、自分に対するせめてもの労わりだった。

 二年、三年と再び同じクラスになることはなかったが、船木は星野のことを想い続けた。夜には星野の裸体を思い浮かべ、自慰をした。制服の下の身体はどんな形と色をしていて、どんな肌触りとやわらかさであるのかを何度も想像した。学校で星野の姿を眺めては、描いた図と重ね合わせた。

 星野と交際することはできないと、船木は理解していた。星野と恋仲になる男は、校内で幅を利かしていた。そういった権力者、有名人でなければ、たとえ肩肘張らずに話せる相手としてうってつけであるとしても、星野に選ばれることは考えられなかった。自分と星野を男女として客観視してみると、もはや何をどうすれば新しい可能性が生まれるという関係ではなくなっていた。

 

 駅前でワンボックスカーを降りたとき、船木は携帯を握りしめていた。まだ星野にメールを送っていない。一緒に下車した男は、汚れたスポーツバッグを抱えて、そそくさとロータリーを離れていった。

 現在の星野について船木が知っているのは、結婚してこの街に住んでいることと、携帯の連絡先だけだ。自宅が駅から近いのか遠いのか、仕事をしているのかどうかも不明だった。駅舎の時計は五時半を指している。火曜日のこの時間、勤め人であるならまだ職場に残っているかもしれない。

 携帯を開き、再びメールの作成画面を呼び出す。用件は、夕食の誘いだ。しかしこの突然の連絡には、まず動機や経緯の説明が必要になると思われた。

 タバコが吸いたかった。人通りが多く、公共の灰皿も見当たらない。目についた喫茶店に入り、入口そばの席につくとコーヒーを注文してタバコに火をつけた。煙を肺に入れ、大きく吐き出す。段取り良く人と会うことさえできない自分を、からかい半分で責めてみる。今に始まったことではないと思うと、少し気持ちが落ち着いた。

 なぜこの街に来たのか、急にどうしたのか、なぜ今日なのか、特別な用事でもあるのか、何かの勧誘か。星野の立場になって考えると、疑問はいくらでも浮かぶ。そして船木には、その疑問を余すことなく解消し、星野に安心してもらえる説明を、メールで簡潔に伝えられそうになかった。

 高校の三年間、船木はついに、星野と連絡先を交換するに至らなかった。連絡先を知ってどうするのかという自問が先行し、その簡単にも思える提案はずっと喉に引っかかったままだった。また船木の心配は、連絡先を手に入れた後にも及んでいた。その交換の事実を、星野が悪気なくまわりの女子へと伝え、彼女たちが船木を嘲ることを恐れたのだった。二人が男女として不釣り合いであるという共通認識がある以上、たとえ親しみの込められた冷やかしであったとしても、船木には笑ってごまかす自信がなかった。

 後悔、というほどのものでもない。結局は、飢えた者が腐った肉を食うほど、金のない者が盗みをはたらくほど、星野を欲してはいなかったのだ。

 しかし今、星野に会いたい気持ちが確かにあった。同窓会に行った宇津井から、星野が船木のことを気にしていたと伝聞があり、連絡先を教わった。その翌日に、仕事で星野の住む街を通ることになった。この偶然の重なりがなければ、星野に会いたいとは思わなかったはずだ。だが現に船木は、自らの意志で送迎車を途中で降り、星野に近づいていた。

 考えて行動したことが正しいわけでもない。考えずに行動することの最大の強みは、機会を逃さないということだ。喫茶店でうだうだとメールの内容を考えていては、その利は無となる。考えた末に何もしないという結果が待っている。

 火をつけたばかりの二本目のタバコを灰皿に押しつけ、コーヒーを飲み干した。レジで金を払い、店を出た。

 駅前広場へと歩みを進めながら、勢いに任せ、携帯で星野の電話番号を呼び出し発信する。チャンスは一度きりだと自分に言いきかせた。この電話に星野が出なければ、諦めて家に帰ろう。折り返しの電話があっても出まい。自分だけが知る、小さな賭け。いつもと違ったのは、出ろ、出ろ、出ろと強く願ったことだった。

 七回目のコールが途切れ、もしもし、と星野の声がきこえた。その向こうでは、駅の構内のような、雑踏の気配があった。言葉を用意していなかった船木は、まず息をすることを思い出し、これから飲みに行かないかと言った。ほとんど間を置かず、いいよと軽い返事がある。今いる場所を伝えると、三十分後に着くと告げて電話は切られた。

 船木は広場の真ん中で、茫然と突っ立っていた。駅へと急ぐ者、家に帰る者が、船木には目もくれずに行き交っている。なぜか彼らが、とても冷淡な人間に見えた。脚がぐらぐらして、花壇のそばにあったベンチに腰を下ろす。

 電話での星野の話しぶりには、突然の連絡を怪しむ様子も、驚く様子も見受けられなかった。互いが覚えているに違いない約束を、念のためにと前日に確認したときのような淡泊さだけが伝わってきた。

 船木はハッとする。宇津井が、本人の了承を得ずに連絡先を教えるはずがなかった。星野は、船木から連絡が来るかもしれないということを、分かっていたのだ。

 本当に俺は、心配ばかりして、肝心なことを見落としているか、忘れているか、そんなことが多い。

 

 定期入れを改札機にタッチすると、星野は顔を上げて船木と視線を合わせた。まるでその地点に船木が立っており、自分を見ていることを知っていたみたいだった。

 星野はゆったりとした半袖のブラウスに濃紺のパンツという格好だった。ブラウスの裾が透けていて、腰の曲線がくっきりと浮かんでいた。長く眺めていたかったが、距離が縮まると星野の顔を見ないわけにはいかなかった。

「何食べる?」

「何でもいい」

「三十分も待ってたのに、決めてなかったの?」

 挨拶を省略して話し始め、星野は船木らしいと言いたげな顔でクスクスと笑った。

「私がときどき行く焼鳥屋でいい?」 

 ああ、と返事をする。星野はにぎやかな商店街の方へと身体を向けた。船木が大きく踏み出して隣に並んだとき、何かの花のにおいがした。

 夕陽が、余った力を出し切るように輪郭を震わせていた。手前にはアーケードのない商店街が横たわり、外灯の白い光を連ねている。その景色は、船木に古い温泉街を思わせた。しかし視線を落として一つひとつの店舗に目を向けると、派手な店構えの新しい店が多く、こぢんまりとした個人商店は数えるほどしか見当たらなかった。

「結構便利なのよ。帰りにお惣菜とかパパッと買って帰れるからさ。船木は、自炊してるの?」

「自炊しかしてない」

「船木がフライパンを振ってるところ、想像できないんだけど」

 星野は船木の顔を覗き込み、また前を向いて口角を上げた。船木はそこに、高校時代の星野の横顔を重ね見た。鼻梁から頬に伸びる影が、校庭の子どものように、すばしっこく動いていた。

 赤提灯をぶら下げた焼鳥屋に入る。二人、と星野が告げると、テーブル席に案内された。カウンターに立つ店主がこちらを見たが、特に声をかけるわけでもない。

 船木がビールを、星野がハイボールを注文した。店内は空いていたが、店主以外に店員が三人いた。

「変わってないね。改札出て、すぐ分かったわ」

 そうかな、と船木は声を出す。ちょうど一年前に街で偶然会ったことを、星野は覚えていないのかもしれない。

「元気にしてたの?」

 ありきたりな質問が、船木には嬉しかった。そんなことを確認してなんになるのかという皮肉めいた考えは、欠片ほども生まれなかった。

「この通り」

 とぼけて言うと、星野は呆れた表情を見せる。

「どの通りよ。見た目はあんまり元気なさそうだけど」

「見た目の三倍、元気なんだ」 

「まあ、昔からそんな感じか」

 酒と付き出しが運ばれ、乾杯する。冷えたビールが、身体に染み渡った。喫茶店でコーヒーを飲んだことが悔やまれるほど、うまかった。

「仕事だったの?」

「ああ。たまたま近くを通ったからさ」

「なんの仕事してるの?」

「業務用のタオルの配達してたんだけど、辞めて、今は日雇いの仕事してる」

 会えば仕事の話も出ること、その内容の報告に自分の胸が痛むことを、船木は覚悟していた。

「日雇いの仕事って、どんなの?」

 星野からの躊躇いのない問いかけが継がれたことで、針が皮膚の浅いところで溶けていく。

「今日行ったのは、雑誌の包装をする工場だった」

「明日はまた違うの?」

「明日は、休みにするかな」

 そう言いながら、日中には明日も働くつもりでいたことを、船木は思い出していた。

「そんな感じでいいんだ」

「そっちは」

「私は先月転職したの。人材派遣会社で広報の仕事してる」

 皮膚下で消えかけていた針の先が、神経に触れる。

「なんて会社?」

 星野が答えた社名は、船木が利用している派遣会社とは違っていた。船木はそのことに救われた気持ちになる。しかし考えてみれば、同じ会社であったとしても、広報担当の星野と派遣労働者である船木が関わる機会はない。

「転職っていうか、しばらく働いてなくて、イチから就活して就職したの——。あれ、私、船木に言ったっけ?」

「言ったって、何を?」

「離婚したって話」

「いや」

 船木はジョッキを掴んで口をつける。宇津井からも、その話はきいていなかった。

「知らなかった」

「私、結婚して、離婚したの」

 船木は黙って星野の目を見た。茶色がかった瞳が、おかしみと哀しみのあいだで揺れ動いていた。

「俺は、離婚してない」

「え? 結婚してたんだっけ?」

「それもしてない」

 なによそれ、と笑顔が弾ける。中学時代の、冷めた表情ではなかった。高校時代の、努力の跡が見える表情でもなかった。大学生活、就職、結婚、離婚。そんなものが星野を変えてくれたのだとしたら、感謝したいという気がした。

 焼鳥が運ばれてくる。星野も腹を空かしていたらしく、二人はテーブルに置かれたそばから手を伸ばした。

 星野は、船木の生活のことを知りたがった。船木は、大学に進学して半年で中退したこと、これまで就いたいくつもの、さまざまな種類の仕事のこと、何もせずにただぼんやりとすごした時期のことを話した。その一つひとつの話を、星野は楽しんでいた。星野が笑ったり呆れたりするのを見ていると、今日までの自分の人生が、それほど悪いものではないと思えた。

 話題は二週間前の同窓会の話に移り、今度は星野が喋った。誰がどんな姿かたちになっていて、何をしているのか。何もかもがありきたりで、船木に興味を抱かせることはなかった。しかし、クラスの連中が、酔いと扇動に任せて自虐的になりながら、居酒屋で爆笑を巻き起こしている光景が頭に浮かんだ。自分もその場にいれば、酒の力を借りながらではあっても、渦に巻き込まれていたのではないかと考える。

 星野はよく飲んだ。頬に赤みが出て、肌の艶が増した。

「今って、どこに住んでるの?」

 船木が答えた最寄り駅に、星野は馴染みがないらしく、ふうんと眠たげな声を出す。

「部屋から、海が見える」

 そう言いながら脳裏に浮かんでいたのは、擦り切れた畳だった。シミの浮いた天井だった。大きな音をたてて閉まるドアだった。アパートの外壁に稲妻のように走る、亀裂だった。

「いいじゃん」

 星野がアパートに遊びにくるところを想像する。その星野はなぜか高校時代の制服姿で、海が見えるというだけで、はしゃいでいるのであった。

「そうでもないんだけどな」

 船木はビールをあおり、新しいタバコに火をつけた。