短編小説『どこを掘り返せばいいのかとっとと教えろ』

 天井のシミは、永遠に眺めていられそうなほど特徴がなく、しかしそれゆえに何かがあるぞと思わせた。真に平凡な人間こそが、偉業を成し遂げるのかもしれない。その真っ黒いシミは、部屋の薄暗さによって魅力を増しているのだろう。

 俺の中で希望が膨らみかけ、数秒も経たないうちにしぼむ間もなく消えた。何しろ俺なのだ。世の中の男たちがしてきたあらゆる種類の努力。どんな種類の努力であっても、俺は一番ではない。トップテンを争うことさえない。チャンピオン以外には何の価値もないとは言わないが、戦うことさえ許されない男はどうすればいい? 自分なりにとコツコツ努力を重ねる男たちも、いつか見回してしまう。気持ちを切り替えて、また自分らしく頑張る。それを何度か繰り返して、自分の寿命を計算してあることに気づき、目を閉じて、よくやったよと自分とまわりの何人かにきこえる声で言う。それからは、生物としての運命を全うすることに励む。妻をめとり、子をつくり、育て、家や車のローンを組み、よく笑い、よく泣き、よく怒り、死ぬ。最後だけ俺と一緒だ。

「ねえ、あんた女いるの?」

 裸の俺の脇でうつ伏せになった裸の女が言う。目尻のシワ、崩れたメイク、脂肪の乗った横っ腹。そんなものばかりが目につく。さっきまで俺は、こんな女を必死に突いていたのか。自分だけでなく、女のいいようにもしてやりたいと思っていた。女が気持ちよくなる姿を見たいと思っていた。まだ俺には女を愛することができるのだろうか。

「いや、いないよ」

 こんな女を? まさか。俺はもっと美しい女を愛するべきだ。もっと上品な女を。俺に女がいようがいまいが、愛してくれる女を。そうでなきゃ、何のために愛するのか分からない。

 女はベッドをおり、床においたバッグを探った。膝を曲げず、俺に尻を向けて。その尻を見ていると、女は振り返り、尻と入れ替わって俺と視線を合わせた。小さく笑い、手に持ったボールペンを隠すようにしてベッドに戻ってきた。刺し殺されるのかもしれないと真剣に考えたが、それならそれでいいような気がした。ときどき、死がてんでこわくないという日がある。それが今日だった。

 俺は目を閉じ、耳を澄ませた。ベッドがきしんでから最初に感じたのは、腹にボールペンの先が触れる感触だった。ペン先がゆっくりと滑り、俺の腹を横断した。それから、こまかく直進と右折・左折が繰り返された。何か文字を書いているようだった。その感触は俺の腹の右側から左側へと移り、どうやら終わると、女の笑い声が響いた。俺もおかしくなって、少し笑った。

「なんて書いたんだ?」

 目を開き、身体を起こさずにきいた。

「自分で見ればいいじゃない」

「帰ってから見るよ」

 女はつまらなそうな顔をしてから、俺の腹を見てわざとらしく驚いたような顔をつくり、声をあげた。俺が頑なに自分の腹を見ないでいると、諦めてそばで横になった。俺は女の身体の温かさを感じていた。

「家に帰ってから見たら、後悔するかもよ?」

「そんな言葉はないよ」

 俺が言うと、女は黙った。そして仰向けになって俺の左手を取り、二人の顔の前に掲げ、小指に数字を書き始めた。ボールペンが滑ってしまうので、一つの数字を何度もなぞり、だんだんと小指の先に近づいた。携帯の電話番号らしかったが、十桁の数字を並べたところで、左手は開放された。

「あんたの指が短いから書けなかった。最後の数字は当ててみて」

「2だ」

「違う、今じゃなくて、また電話してってこと。でもチャンスは三回まで。三回で私につながらなかったら――」

「どうなる?」

「また次の女を探すのね」

 それから、二人とも喋らなくなった。俺は服を拾って身に付け、部屋を出て、廊下を歩き、階段を下りていった。一度も、振り返らなかった。