短編小説『あるヒトコブラクダの話』


 チャールズは、砂漠に点在する町と町との間を、商人に連れられて、大きな荷物を運ぶヒトコブラクダだった。ビルの建つ大きな町も、風が吹けば飛んでしまいそうな小さな町も、チャールズは知っていた。
 商人は仕事を片付けると、すぐに次の町へ旅立った。宿に泊まると金がかかるので、夜は砂漠にテントを張り、商人はその中で、チャールズたち五頭のラクダはその外で眠る。
 商人は多少の砂嵐には負けなかった。常に次の町を目指して歩き続けた。チャールズたちも歩き続けた。
 過酷な日々だった。太陽に熱せられた砂の上を、何日も、何十日もかけて歩くのだ。商人は毎日三度、きちんと食事をとった。そのときだけ足を止め、チャールズの背中からぶら下がる麻袋から食料を取り出してほおばった。その間、ラクダは黙って待っているしかなかった。商人は、ラクダには何日も水や食べ物を与えなかった。腹ペコになって、歩けなくなって砂漠に腹をつけたとき、やっと水と食べ物を与えた。
 疲れたラクダがしゃがみこんでも、商人が黙って何もしないことがあった。厳しい目つきで、そのラクダをじっと見つめる。商人には、そのラクダの腹の空き具合が完璧に分かっているようだった。見つめられたラクダは、その眼差しに負けて立ち上がるしかなくなる。そして一同はまた歩き出す。
 本当に一歩も歩けなくなったときだけ、商人はすぐに食べ物を与えた。
 ラクダたちは何もかも商人に見透かされているのだと、自分たちのことを情けなく思っていた。
 ある日、一頭の年老いたラクダが倒れた。しゃがんだのではなく、横向きに倒れた。舌を垂らし、目は半開きだった。体が小刻みに震えていた。商人は何秒かそのラクダを見つめたあと、彼をほったらかしにして歩き出した。ラクダは四頭になった。
 その夜、テントの外でラクダたちはなかなか眠れなかった。
「見ただろう。憐れなじいさん」
「何言ってんだ。このままじゃ、俺たちもあんなふうに死んでしまうぜ」
「死んだんじゃない。殺されたんだよ。俺たちはあの商人に使うだけ使われて、最後にはあのじいさんと同じ。殺されるんだ」
「逃げるか?」
「逃げるか?」
「逃げるか?」
 ずっと下を向いていたチャールズが顔をあげると、皆の視線が自分に集まっていた。
「逃げるかい?」
 チャールズは三頭を見回してきいた。すると三頭とも「うーん」と言いながら目を逸らした。
 チャールズには分かっていた。こいつらには逃げる勇気なんてないのだ。こき使われていても、厳しい自然の中で一人で生きていく自信がないのだ。チャールズは顔を脚にのせて目を閉じた。気持ちは固まっていた。皆が眠りに落ちると、毎晩少しずつかじっていた首につながれた紐を思い切り噛み切って、夜の砂漠を走った。
 自由になった喜びを感じながら、夜通し砂漠を走った。翌日になり空腹を感じると、食べ物と水を求めて、感覚に頼って探し歩いた。けれど長年商人に飼われていたせいで、その感覚もかつてほど頼りにはならない。わずかに生えた草や水を見つけると、しばらくそこで生活した。離れてしまうと次にいつ空腹を満たせるか分からなかった。だが一つの場所に留まるのも、数日間のことだった。草も水も、すぐに底を尽きてしまう。そして、また砂漠をさまよう。そんな生活が続いた。商人がくれた食べ物さえ恋しく思えた。
 町に行こう、と思ったのは、いよいよ腹ペコで今日にも倒れてしまうと思った朝だった。町に行って働けば、あのかつての自分の飼い主のように、たらふく食べられるという気がした。幸い、ビルの立ち並ぶ大きな町は、そう遠くはなかった。
 半日かけて町にたどり着いた。背中のこぶはもうぺしゃんこだった。町ではたくさんの人が歩いていた。人に連れられたラクダもいた。ラクダたちは紐で引っ張られながら、もの珍しげにチャールズを見ていた。
 自分はもうあんなふうに紐で引っ張られたりすることはないのだと思うと、チャールズは少し嬉しい気持ちになれた。
 チャールズは道ゆく人に「こんにちは」と話しかけた。けれど彼らは喋るラクダに驚いて、「ひゃっ」と声をあげると走ってどこかへ行ってしまうのだった。怖くなって笑ってごまかしながら離れていく人や、いきなり石を投げてくる人もいた。
 さっきまで気にもかけていなかったのに、喋ると分かった途端、誰もチャールズに近づかなくなった。遠くでひそひそと話しては、気味悪がっていた。
 冷たい視線に耐えきれなくなって、チャールズはビルの隙間に駆けこんだ。横になって休んでいると、ぼさぼさの頭にぼろぼろの服を着た男がやって来た。男はチャールズに気づくと少し驚いたようだったが、何も言わずに近くのゴミの上に腰をおろした。そして改めてじっとチャールズを見ると、
「もしかしてお前さんが、喋るラクダ?」
 ときいた。
 話しかけられると思っていなかったチャールズは何度も頷いてから、
「はい。ヒトコブラクダのチャールズです」
 と答えた。
「ふーん」
 男は言った。
 チャールズは何となく、この男なら安心して話せる気がした。
「この町で、ものを運ぶ仕事をしたいんですけど」
「え」と男は声を出して、
「運ぶって、どうやって?」
 と言った。
「荷物と荷物を紐で結んで、体の横からぶら下げるんです。百キロの荷物だって大丈夫です」
「うーん。あのな、酷なようだけど、そんなんじゃ話にならないぜ。トラックがあるからな」
 男はそう言って、通りの方を指さした。その先では、荷物を積んだ大きな車がもの凄いスピードで走っていた。
「じゃあどこに行けば僕はたらふく食べられますか?」
 チャールズはきいた。とにかく腹が減っていた。
「たらふく飯が食いたいのか」
 男は言った。そして少し考えて、
「動物園に行きゃお前さんでもたらふく飯が食えるだろうよ。連れてってやろう」
 と言った。
 チャールズは大きく頷いた。


 動物園は、町で一番大きな広場の近くにあった。裏道を通って動物園の前まで来ると、男は言った。
「人と話せることは黙ってろよ」
 どういう意味かチャールズにはよく分からなかったけれど、さっきみたいな目に合うのはもう散々だったから、男の言う通りにすることにした。
 男が近くを歩いていた飼育員を捕まえて話をつけ、二人は園長室に通された。園長は大きな椅子にふんぞり返っていた。
ヒトコブラクダはいりませんかい」
 男は言った。
 髭を生やした園長は渋い顔を作って、
「もうラクダは二頭いるんだ。人気のある動物でもないしね」
 と言った。
「そこを何とか!」
 男は何度もそう頼んだが、園長は椅子にふんぞり返ったまま、首を横に振るだけだった。
「えさ代の無駄だよ」
 園長にその気がないことを知ると、男はチャールズの耳元で、
「どうしても腹一杯食いたいか?」
 と囁いた。
 チャールズは頷いた。男はそれを確かめると、園長に向き直って大きく息を吸って、
「園長さん、黙ってたけど実はこのラクダ、人の言葉を話せるんですぜ!」
 と言った。
 渋かった顔が、はっはっは、と大笑いをした。そしてまた渋い顔に戻った。
「馬鹿にしに来たんならとっとと帰って――」
「馬鹿になんかしてませんよ、園長さん」
 チャールズがそう言うと、園長は椅子の上で腰を抜かした。


 一転、チャールズは歓迎された。まずはぺしゃんこになったコブをもとに戻すため、たくさんの食べ物と水が与えられた。チャールズは満腹になると、寝床でぐっすり眠った。噂をききつけた飼育員が何度かそっと覗きにやって来たが、一目見るとすぐに戻って行った。
 翌朝から、チャールズは他の二頭と一緒に檻に入れられた。昼を過ぎた頃、檻の前に人だかりができ始めた。
ラクダさーん。喋ってみてー」
 小さな子供が叫ぶ。チャールズは園長に、お客に喋りかけられたら必ず返事をするように言われていた。
「はいはいお嬢ちゃん。こんにちは」
 人だかりは歓声をあげ、手を叩き、もっと、もっと、と言った。
「僕はヒトコブラクダのチャールズ。皆さんよろしくお願いします」
 そんな調子で喋っているだけで、お客が檻の隙間から食べ物を差し入れてくれた。皆笑顔で、楽しそうに家族と話しながらチャールズを見ていた。昨日あんなに冷たかった人たちが、温かい眼差しを向けてくれるのが、チャールズは嬉しかった。
 チャールズの人気で、動物園は連日大賑わいだった。朝から晩までひっきりなしに人が訪れては、ラクダの檻の前に集まり、チャールズに話しかけた。あとの二頭のラクダは、うしろで迷惑そうに目を閉じて横になっていたが、誰もその二頭のことなんて気にしていなかった。
 チャールズは次第に、愛想よく喋り続けるのに疲れてきた。お客から差し入れられた食べ物も、食べきれないほどの量だった。
 そんなある日の朝、開園前、園長が言った。
「チャールズ、今日はお前の誕生日だ」
 チャールズはきょとんとしていた。
「違いますよ。僕の誕生日は、今日じゃありません」
 すると園長は大笑いして、
「いいんだいいんだ。そんなこと問題じゃない。今日はお前の誕生日ってことで、お客がたくさん来るからな。お前は園の真ん中の広場に出て、お客と触れ合うんだ。良かったな。今日は檻から出られるんだ。いい子にするんだぞ」
 と言って行ってしまった。
 開園と同時に人の波が押し寄せ、一直線にチャールズがいる広場に向かった。そしてチャールズを取り囲み、「お誕生日おめでとう」とうその誕生日を祝い、頭や体を叩くように触った。人だかりの後ろの方からはプレゼントが投げ込まれ、チャールズの腹にぶつかった。
 けれどチャールズは「痛い」とは言えずに、
「ありがとうございます。皆さん」
 なんて言っていた。園長に、いい子にするように言われていたからだ。


 いつもの五倍喋らされたチャールズは、動物園が閉まったときには疲れ果てていた。寝床にたどり着くと、かつて商人に連れられて砂漠を歩いていたときのように、しゃがみ込んでしまった。腹は空いていないのに、空いていないどころかお客の差し入れで満腹なのに、もう一歩も歩けないと思った。
 チャールズが目を閉じて、眠りにつこうとしたときだった。
「この分じゃあんた、来月も誕生日だぜ」
 目を開けると、隣の若いラクダが薄笑いを浮かべてチャールズを見ていた。
「来月も誕生日ってどういうことさ。今日誕生日だったばかりじゃないか」
 ふふふ、と若いラクダは笑った。
「誕生日ってことにすりゃお客が集まるんだよ。動物園の動物の誕生日なんて、誰も覚えちゃいない。来月誕生日ってことになっても、今日のことなんて忘れちまってるんだよ」
「お客をだますってことかい?」
 チャールズはわずかに顔をあげてきいた。
「どうせ今日の誕生日だって嘘っぱちなんだろ。前にうちにいた、白い象も毎月誕生日だったんだ。その度にお客が馬鹿みたいに押し寄せて騒ぐもんだから、その象はまいって死んじまったんだ。みじめな最後だったぜ」
 チャールズは、商人に飼われていたとき、砂漠に置き去りにされた年老いたラクダを思い出した。使われるだけ使われて、最後は見捨てられたのだ。あんなふうになりたくなくて町に出てきたのに、あの年老いたラクダも、白い象も、一緒だ。自分もそうなるのかもしれない。
「人気者の喋るヒトコブラクダさん、こんな所逃げちまおうぜ。俺に策がある。とりあえず、人間どもが寝静まるまでゆっくり眠っておきな。起こしてやるから」


 チャールズが起こされたのは、夜中だった。辺りはしんと静まり返り、遠くの檻からオオカミの遠吠えがきこえるだけだった。
「いいか、足音を立てるなよ。そこのじいさんが起きちまうからな」
 若いラクダが言い、チャールズを柵の近くまで連れて行った。
「これを飛び越える」
「無理だよ。高すぎる」チャールズが言う。
「確かに、一人じゃ無理だ。片方が踏み台になるんだ」
「片方って?」
「もちろんお前さんさ」
 若いラクダは答える。
「それじゃあ、僕はどうやって飛び越えるのさ」
「俺が柵の向こうに出たら、柵のドアを開ける。外からは簡単に開くようになってんだ」
「本当かい?」
「本当さ」
 若いラクダは言って、にっと笑った。
 チャールズが柵の近くでしゃがむと、若いラクダがその上にのった。ひづめが背中にめり込み、すごく痛かった。チャールズは疲れた体を奮い立たせ、脚を震わせながら立ち上がった。
 若いラクダは「ほっ」と声を出して柵を飛び越えた。着地に失敗して地面に激突したが、すぐに立ち上がった。
「はっは! これで俺は自由だ! 自由だ!」
「じゃあ、悪いけどドアを開けてくれるかい?」
 チャールズは言ったが、若いラクダはにやにや笑ってこっちを見ているだけだ。
「外からは簡単に開くんだろう?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ僕はどうやってここから出るのさ」
 若いラクダは笑って、チャールズの背中の向こうをあごでしゃくった。
「あのじいさんを使って、俺と同じようにすりゃいいのさ」
 そう言い捨てて、暗闇の中を走って行ってしまった。


 次の月、若いラクダが言っていたように、チャールズの誕生日がまたやってきた。今度は記念撮影つきだ。余分に金を払ったお客と一緒に、カメラマンに写真を撮られるのだった。お客は喜んでいたが、チャールズはうんざりしていた。
 その晩、こんなことはすまいと思っていたのに、気づいたらチャールズは年老いたラクダを騙しにかかっていた。
「僕が先に柵を飛び越えて、外からドアを開けておじいさんも出してあげます。外からならドアは簡単に開くんです。本当です」
 年老いたラクダは特に喜ぶ様子もなく、黙って頷くと、柵のそばでしゃがんでチャールズの踏み台になった。年老いたラクダは背が高かったので、チャールズは簡単に柵を飛び越えることができた。着地したら振り向かずにすぐに走り出すつもりでいたけれど、思わず振り返ってしまった。そして柵のドアが開かないかを試した。もしかしたら、開くかもしれないと思ったからだ。
 けれど柵のドアはがちゃがちゃ音が鳴るだけだった。
「外からだって簡単には開かないよ」
 年老いたラクダは言った。
「知っていたんですか?」
 チャールズは驚いてきいた。
 年老いたラクダは何も答えずに、弱々しい笑みを浮かべると、背を向けて、ゆっくりとした足取りで寝床に戻った。


 チャールズは町を出ると、三日三晩歩き続けて、前の町ほどは大きくない、中くらいの町に向かった。そしてその町にたどり着く頃には、後ろ脚二本で立って歩いていた。
 町に入ってすぐの所で、紐で繋がれたラクダが暴れていた。飼い主の言うこともきかずに、そこらにあるものを蹴とばしていた。人々は距離を置いて、その様子を見ていた。
 チャールズはそのラクダのそばに近寄ると、
「どうしたのさ、そんなに怒って」
 ときいた。ラクダは暴れながらも、頭の後ろにトゲが刺さっている、と叫んだ。チャールズが頭を押さえてそのトゲを抜いてやると、ラクダはようやく大人しくなった。
 そのとき起こった大歓声に、チャールズは驚いて振り返った。周りで見ていた人たちが、手を叩いてチャールズを褒め称えていた。チャールズはどうしてこんなことで褒められているのだろうと思ったが、考えてみると人間にはラクダの言葉が分からないのだ。
 人だかりの中から、スーツを着た背の高い男が寄ってきて、チャールズの肩を叩いて言った。
「君、動物の言葉が分かるんだね。通訳でもすりゃ、きっと繁盛するぜ」
 男はもう一度、ぽん、とチャールズの肩を叩くと、手を振って行ってしまった。
 人だかりが解けて、人々は元の生活に戻った。ラクダとその飼い主も、どこかへ行ってしまった。チャールズは立ち止まったまま考えていた。
(この町の人は、誰も僕を見て驚かない。二本脚で歩くラクダを見て、何も言わない。不思議だ)
 しばらく同じことを考えていたが、さっきの男の言葉を思い出して、すぐに実行することにした。
「動物と人との、通訳しまーす。動物と人との、通訳しまーす」
 大声で宣伝しながら道を歩いていると、次々に仕事が舞い込んできた。小屋から出ない犬は体調が悪いと言うので医者に見せるよう言った。急に卵を産まなくなったニワトリはえさが減ったことを不満に思っていたのでえさの量を元に戻させた。えさを食べないブタは運動できないことでストレスが貯まっていたので、一日一度は広いところで散歩させるよう言った。パン屋に住み着く、パンの中身だけを食い荒らすネズミには、ミミの切れ端をやるから中身は食べるなという契約を店主と結ばせた。飼い主をのせるのを嫌がる馬は、汚いズボンでのられるのを嫌がっていたので飼い主に新しいズボンを買わせた。畑を荒らすモグラには、畑に何も植えていないときはいくらでも荒らしていいから今は静かにしておくこと、という契約を地主と結ばせた。
 チャールズはそうやって、人と動物とのいざこざを解決していった。そして金をもらい、食べ物を買って食べた。初めて、自分の好きなものを、好きなときに、好きなだけ食べられるようになった。
 人々のチャールズに対する信用は増していくばかりだった。他の誰だって、動物と人両方とは話せなかったからだ。仕事が増え、金も貯まり、いつしかチャールズはアパートを借りてそこで生活し、電話で仕事を受けるようになった。
 ある日、電話で呼ばれて町の端にある宿屋に向かった。電話をしてきたのはその宿に泊まっていた若い商人だった。今から町を出るというのに、連れているたった一頭のラクダが立ち上がらないと言う。
「どうしたの。どこか痛いのかい?」
 チャールズがきくと、そのラクダは驚いた顔で見返してきた。そして目を伏せて、「右の前足をひねったんだ」と小さな声で言った。
 チャールズは若い商人にわけを話し、ラクダの右前足に薬を塗って、包帯を巻いてやった。包帯を巻き終わると、チャールズは商人から金を受け取った。その横で、立ち上がったラクダが言った。
「チャールズ、お前、まだ気づかないのか?」
 何のことか分からないまま、チャールズはそのラクダの顔をまじまじと見てはっとした。昔、砂漠を一緒に駆けまわって遊んだ幼馴染だった。チャールズが先にあのケチな商人に飼われて、離れ離れになったのだった。幼馴染の名前を呼ぼうとしたが、チャールズはどうしてもその名を思い出せなかった。
「チャールズ、お前、人間みたいだな。金なんてもらって、二本足で立っちゃって」
 ラクダはそう言って、とんとん、と包帯を巻いた脚で地面を踏むと、びっこを引きながら、若い商人に連れられて行ってしまった。


 その日以来、チャールズは動物の言葉がききとり辛くなった。あまり自信のないまま通訳をして、何も解決できないこともあった。お客は怒った。もちろんそんなときは金をもらえなかった。チャールズは次第に電話に出なくなった。お客がアパートまで来れば、仕方なしに仕事はしたが、それも失敗続きだった。チャールズが通訳をできなくなったという噂はすぐに広まった。電話は鳴らなくなった。
――チャールズ、お前、人間みたいだな。金なんてもらって、二本足で立っちゃって。
 静まり返った部屋で、チャールズはその言葉を何度も呟いた。とても悲しかった。
 この町を出よう、と思った。このままじゃアパートの家賃も払えなくなって追い出されるだろう。もう誰かに怒られたりするのは嫌だった。
 ある早朝、まだ薄暗い中、チャールズはひっそりとアパートを出た。町を背にして砂漠を歩き始めたとき、空腹であることに気づいた。けれど何もかも、アパートに置いてきてしまった。食べ物も、金も、何もかも。
 二本足では、砂漠は歩きにくかった。だがもう前のように四本足で歩くことはできない。どこに行って何をしよう、と考えたが、どこも、何も、思い浮かばなかった。